それって当たり前?

日々感じたことを徒然に。

庭の鉢植えと住人の関係。

 猫散歩していて気付いたこと。


ある家の庭の鉢植えがほとんど枯れているのだ。

その庭の一角に今が盛りの紫陽花が咲いている。

地植えの毎年恒例のように咲く紫陽花は、しっかりと咲いている。

 

だからからだろうか、反対側の柵に沿って置いてある鉢植えのことは気にならなかった。

しかし、よく見てみると、今までは何かの季節の花が咲いていたのに全く花は無くなって

鉢だけが寂しく残されている。

 

そうだ!ご夫婦が花の世話が、手入れが出来なくなっているのだと気付いた。

ああ、住人の健康状態が、こういう所に表れるのだと心が痛んだ。

 

ご主人は最近足腰が弱ったようで玄関の2段の階段も大変しているようだし、奥様は

毎朝5時半頃ストックを持ってウォーキングに出掛ける様子をお見かけするが、矢張りその階段をゆっくりと後ろ向きになって降りている状態だった。

 

ご主人はほんの数年前までは車に乗って早朝テニスに出掛けられていて、身体もしっかりされていて頑丈そうに見えた人なのだ。

 

そのお二人が、もう鉢植えの手入れもままならなくなってしまったという証?が”花の無い鉢植えたち”なんだろう。

 

お元気な頃は、そこの中心に自家用車も停まっていたのに、それもお孫さんに譲渡したと聞いた。

 

年齢は解らないが、70代後半から80代前半だろうとお見受けしていた。

 

健康上の問題でなくても、家主が居なくなった家というのは、その周辺、敷地内を見ると

すぐにわかる。

雑草で一杯になるからだ。

 

そしてもう一つ、家主はいても、花木に興味がない家主の庭はほったらかしにされていて

窮屈そうに、うっそうとした様子を呈している。

 

たかが庭、なのだが、そこの住人の生きる姿勢がまざまざと出てくるのだ。

 

雑草一つ、枯れ葉一枚、そこに絡むゴミも一緒に、その住人の姿勢なのだ。

だから、玄関へのアプローチである敷地内の様子から、その家の内部の様子も

想像できてしまう。

 

逆に、アプローチが整っているお宅の前では、さぞ素敵な住まい方をされているんだろうな、とその住人を想像するのが楽しい。

 

お身体が弱くなられたご夫婦のことは心配になるが、娘さんとその家族らしい方が時々

来られているようなので、それがこのご夫婦の生き方なのだろうと見守るしかない。

 

 

ご近所の見事なバラ撮らせて頂きました。