それって当たり前?

日々感じたことを徒然に。

「面倒臭い・・」が口癖の人。

バラエティ番組等や、親しい間柄などで、よく使われる

「面倒臭!」などと発せられる言葉には裏返すと親近感がある。

 

「あなた、そんなことにいちいち拘る必要なんてないんだよ~!」

とか、

「そんなことに神経質にならなくたっていいんじゃない?」

とか、言いたい時に、一言で、

「面倒臭い人ねエ~。」

と言わず、

「面倒くさ!」

で表せる仲は、笑い飛ばせる一言になる。

 

その一方で、何かのこれから行動に対して、

「面倒くせ~なあ」

とか、

「面倒じゃん!」

とか発している人がいる。

 

私は、ちょっと引っ掛かる。

面倒臭いから後回しにする、とか挙句、放り出すなんてこともある。

「面倒臭い。」

と、言いながら放り出すならまだいい方かもしれない。

何故なら、そんなことさえ言わず放り出したままの人もいるわけだから。

 

日々の生活の中には「面倒臭い」ことはいっぱいあるのは確かだ。

自分の仕事、人間関係、細々とした些細なことまで、みんな面倒臭いことだらけだ。

 

でも、目の前にあることを一つずつ片付けていかなかったら些細なこともどんどん積み重なって大量の「面倒臭い」ことの塊になってしまう。

 

だから、「面倒臭そう」なことは早く片付けてしまおうと、私は思う。

 

それに、「面倒くせ~!」という言葉はどんどん自分の脳が感じて、何でも先ず「面倒臭い」と思うようになる。

そうなると何に対しても「負担な気持ち」を抱えるようになる。

 

だから、何かをしようと思う時、負担になりそうなことを調べて、自分のその負担を和らげて、

「負担はないよ」と言い聞かせて行動する。

 

だから、とっとと動く。

すると達成感というご褒美が付いてきて、またちょっと負担になりそうなことでも、

「やってみよう!」という気になる。

 

だから、人との会話の中で、

「そこに行くの面倒臭そうだね。」

とか、

「行ったことないから・・・。」

とか、

「やったことないから・・・。」

と、言い出されると、勿体ないと思ってしまう。

 

人生初ならやらないで、未経験で終わらせてしまうの?と思うのだ。

 

大小に拘わらず未経験のことが目の前にあるなんて凄い機会じゃないかって。

 

だから、私は大きなことをするわけではないが、「ふと思いついた事」はやってみようと思って暮らしているつもりなんです。

 

だから、「面倒臭い」が聴こえると、なんて勿体ないと心の内で思っている。

 

 

「面倒臭がり度チェック」がありました。参考程度に・・・・。

http://fujifilmmall.jp/conversion/column/018dvd-mendo.html