それって当たり前?

日々感じたことを徒然に。

「ラグビーの第9回W杯開幕」と平尾誠二さん。

新聞のコラム欄から引用 (2019/09/22付)

 

 ラグビーの第9回W杯が開幕し、初の8強入りを狙う日本は幸先よく白星発進した。当日の本紙夕刊2面に、さらに開幕戦の実況中継にも、この人の名前が登場した。「ミスターラグビー」と呼ばれた平尾誠二さん


 ▼当時最年少の19歳で日本代表入りし、W杯は1987年の第1回から3大会連続出場。34歳で日本代表監督に就任し、第4回大会を指揮した。2009年に日本開催が決まり準備が進む中、16年10月、がんのため53歳で亡くなった


 ▼「きみの病気を治すことができなくて、本当にごめんなさい」。平尾さんをしのぶ集いで山中伸弥京都大iPS細胞研究所所長は無念をにじませた。週刊誌の対談企画(10年)をきっかけに親交が始まり、1年余の闘病を支え続けた


 ▼二人はともに関西出身の同学年。山中教授は神戸大医学部でラグビー部だった。対談は書籍「友情」(17年、講談社)所収。ラグビーで、先端医療研究で、世界を相手にどう戦うかなどを語り合った


 ▼前回イングランド大会の対南アフリカ大金星など日本の躍進について、平尾さんの発言を山中教授は振り返る。〈今回は予想以上の結果が出たが、次回もそれが保証されるとは限らない。さらなる努力が必要〉


 ▼日本大会を楽しみにしながらかなわなかった元ラガーマンは平尾さんだけではなかろう。日本の第2戦は28日、袋井市のエコパで。相手のアイルランドは世界ランキング1位。平尾さんは、どこに転がっていくか分からない楕円[だえん]のボールは人生と同じだと語った。ゲームもどう転がるか分からない。

 

以上引用

 

毎週土曜日の早朝、NHKTVで「あの人に会いたい」という番組を観る機会がある。

たまたま、ワールドカップ開催と重なってか、その人物が平尾誠二さんだった。

 

 

彼が活躍した時代のことは詳しくはないが覚えている。

吉永小百合さんがラグビーのファンで彼が大好きだったように記憶してるが・・・。

 

その頃から相当なイケメンでした。

ラグビー選手というと、ガッシリとした体躯と一見強面だったりするが、彼はラグビー選手?とは思えない程、スマートな印象だった。

 

アスリートというより哲学者のような風情だった。(と、研究者のように感じていた。)

 

だから、この開催の時、「ミスターラグビー」としての彼は思い出されるのだろう。  

 

日本代表の監督就任の前、彼は一旦ラグビーを離れ、イギリスにアンティーク家具の勉強に行っている。

そのイギリスでいろんな形でラグビーを楽しむ人々の中でラグビーを楽しむうちに、もう一度

ラグビーをやろうと帰国したということだ。

 

そんな彼の生涯と今回の開催が重ね合わさって、試合観戦も、そのラグビーの歴史を背景に思いを巡らすと感慨深いものになりそうで、楽しみが膨らむ。