それって当たり前?

日々感じたことを徒然に。

不安な一夜...。

夕飯の後、ソファに座っていた時、突然左側の腰から脚の付根の辺りに急に痛みを感じた。

 
行儀が悪かったが、左側体側を伸ばすように横になってみた。
 
就寝しようと立った途端、痛みは歩けない程になっていた。
 
「この痛み、原因はなんだろう?一体どこが痛いんだ?」
と、痛みを抱えながら寝る姿勢を色々変えてみた。
 
脚を伸ばしてみても、伏せてみても痛い。
「こんなに痛いのなら、明日は歩けるだろうか?猫の散歩は行けるだろうか?」
と、いろんなことを考える。
 
「もし、痛みが引かないようなら、整形外科を受診したほうがいいのか?行くとしたらどこの
整形外科か、カルテがあるあそこ?それとも・・・。」
と、次々といろんな不安が襲ってくる。
 
「でも、明日にならなければ明日の様子はわからない。」
と、とに角寝ることだ、といつの間にか眠った。
 
朝になって、起きれるだろうか?歩けるだろうか?の不安と共に起きた。
そ~っと、歩いてみた。
 
「あっ、痛みは強くない、歩ける。」
と普通に、そっと歩けた。
 
それだけで、嬉しい。
階段も大丈夫。
猫の散歩はできそうだ。
 
毎朝の猫にとっての大事な習慣は、猫に「行かない」の説明は無用だ。
脚を引きずってでも、ゆっくりでも、外に出なければ、彼の大好きな時間を作ってやれない。
 
何とか支度をして、静かに、ゆっくり散歩時間は過ごせた。
取り敢えず、よかった。
猫は満足している。
 
そうこうしている内に、動かしていると何とか痛みも感じなくなっていた。
でも、時々
「ズキッ!」
と痛みが走る。
「ヤバイ!続いたらヤバイ!」
と、祈るような気分になる。
 
「ああ、このまま、痛みが遠のいてくれるといいなあ・・・。」
と、なんとか保っている。
 
いつもは健康を保ち、膝痛も、肩痛も、なんとか運動を続けて、筋肉を周りにつける気持ちで
頑張ってきた。
だから、多少痛くても動かすことは止めない。
そうしてきたのに、この痛みは何だ?
 
加齢による、骨と骨の間の間接部分がすり減って、神経を刺激するするという神経痛なのか?勝手に考えてしまう。
何とか痛みは出ないで欲しい。切実に思う。
 
そして、そんな時、周囲の知り合いの人の症状が思い浮かんでくる。
 
股関節が痛くて、キッチンにさえ立っていられなかったという人。
股関節の手術をしたということで杖を突いていたあの人。
脚に菌が入って腫れて歩くのも大変だという人。
 
私は、その人達の痛みを感じてあげられただろうか?
いや、彼等の痛みはやはり他人事だった。
「運動してる?普段ケアー、予防に何かしてる?」
なんて、思っていた。
 
でも、加齢すれば、身体のいろんな箇所に不具合は出るんだよね。
それを分かってあげてただろうか?
「痛み」は、自分が経験しないとわからない。
身体も、心も痛みを経験しないと理解してあげられない、と一晩の原因不明の痛みによって
解った、ような気がする。
 
私は、「普段の努力が足りないんじゃない?」なんて思っていたかもしれない。
 
加齢による、どうしようもない不具合を抱えた人に、もっと理解と優しさを持たなければいけないと、一晩の痛みが教えてくれたように思う。