我が家の猫君。
朝の時も、昼間の時も、こうして夜の時もあるが、外気を感じたい時なのか、
庭に下りるサッシ戸の前で私を呼ぶ。
「ウ~、ウ。ウ~ウ。」
と、察してよ、という啼き方をする。
私は、どんなに低い声であっても、何の要求なのか解るので、すぐに駆け付ける。(笑。猫バカです。)
夏などには小さな虫などもいるらしく、そんなものを探して独り(一匹?)集中している。
ただ、何となく外にいたい時もあるのだろう、何か考え事をしているような、哲学的な風情を見せることもある。
そんな彼の様子を見てるだけで、こちらは癒される。
サッシ戸を少し開けておくと、
「独り遊び、十分!」
という表情で家の中に入ってくる。
家猫なので、範囲としては制限はあるが、その中で、成るべく自然に居られるようにして、暮らしているつもりだ。
日向ぼっこの場所、日陰にいたい時の場所等々、季節により、一日の時間帯により違う。
そんな場所を彼は自己決定して決めている。
満足してくれているのだろうか?
最近のニュースで伝わってくることは「無差別殺傷事件」とか「高齢者が引き起こす事件」だとか「ひきこもりの人が関わる事件」だとか、原因分からず、何の関わりもない被害者多数、などという何とも理不尽な事件が多い。
そんなニュースばかり聴こえてくると、被害者たちの気持ちを察して気分が落ち込む。
そんな時、人間の世界のことなど知らん、と猫独自の暮らし方を観てると、
「人間って、何してんの?」
と、でも言われてるようでもあるが、
「猫は、今日の事だけしか考えてないんだよね?それはそれでいいよね?」
と、返したくなる。
それにしても、会話の成り立つ、私の言葉を理解してくれている「ソウルメイト」のような猫なのだ。
17年一緒に暮らしている。