それって当たり前?

日々感じたことを徒然に。

出会いの奇跡。

 

 

つらつらと毎日感じていることを書いているブログを訪問し、「いいね」して下さりありがとうございます。

大変な励みになっています。

 

2019/02/29のブログに突然「いいね」して下さった方がいらして、驚きました。

やっぱり、過去ブログですが、自分でも読んでみようという気持ちになって読みました。

 

https://ameblo.jp/kickbell/entry-12442525216.html

イギリスのrspca(英国王立動物虐待協会)と台湾の殺処分ゼロの法案。

 

読後、ああ、やっぱり書いておきたかったんだという気持ちが蘇ってきました。

当時書きながら、泣けました。

振り返って読んでも、また込み上げてくるものがありました。

 

どうも、虐待されたり、放置されたりする動物の気持ちに、感情移入してしまうので、彼等が

どんなに飼い主を待ったか、信じたかと想像すると、

「裏切られた」

とは思わないだろうから、その一途さに応えない人間の非情さに、腹が立つし、放っておける

気持ちが分からなくて、悲しくなるのです。

「もし、飼っている動物が自分だったら・・・。どうして欲しい?何が嫌?」

と、常に

「自分だったら?」

と相手の気持ちになればすべきことはシンプルに見え、感じられる。

 

私が謝ってもどうにもならないけれど、その場に行って代わりに彼等に「安心」を与えて

上げたい!と思ってしまうのです。

飼い主は、できる限り規則正しい生活をすれば、例え一定の時間留守番をさせることになっても

「この時間には帰って来てくれる」

という感覚が出来て、その繰り返しは、それまでは安心して待てるという確信になると思います。

 

責任感のある飼い主さんの元で暮らしている動物たちが幸せに暮らしているなら、彼等の「目」を見れば

わかります。

調教の基本も「アイコンタクト」がきちんとできるかどうかですものね。

 

我が家の猫だって、一日の内に、本当に様々な「目」の、全体の、表情を見せてくれます。

動物と会話ができる人がいますが、お互いに観察し合えば、会話と限らなくても、気持ち

は伝わってきます。

 

だから、猫の気持ちはどこを切り取っても分かります。

その中で、

「安心している」

時が、私は飼い主冥利に尽きると思っています。

「あなたの傍で寝たい。あなたの傍にいたい。あなたにこれをして欲しい。」

これらが全て、動物に信頼されている証、認めて貰えたってことです。

 

犬や猫の寿命を考えれば、その中で自分と出会えた、この偶然は奇跡とも言えます。

そんな時間の中で信頼し合える関係なんて、そうそうあるものではない。

 

出会えるべくして出会ったお互いがどんなに凄いことなのか考えれば、

「私の人生を彩ってくれてありがとう。」

という存在であって到底裏切るなんてことができる筈がない。

 

動物は人間の私達よりもっと、状況察知能力は高い筈です。

相手を感じる能力では、基本人間以上のものがあると思います。

 

そんな彼等を不安や恐怖に陥れては人間として駄目だと思います。

偶然出会ったのではなく、出逢った必然があると思うのです。

と、言うことは自分の人生の中から切り離せない一部なんだと思います。

 

犬や猫、そして家畜として世話をする動物たちと、共生しているという意識をどんな

時も忘れないでいたい。

 

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写真は「みさおとふくまる」より。