同級生との雑談の中で。#2
大人になってから、改めてお互いを知ることになっている同級生との話で、流石というか驚きというか、
育ちとは凄いものだと知ることになったことがある。
それは、何気ない話しから解ることになった。
ご主人は留守だというので、
「夕飯の支度が楽でいいね。」
と言うと、
彼女:「いや、却っている時のほうが楽なの。彼は気分転換になると、今料理に凝っているから。」
私:「ええ~!いいな。家も作ってくれるといいんだけど、全くやらないんだ。」
彼女:「でもね、食器の選び方がね~。彼の家は”大量生産の普通の”食器を使っていたから、
私は、一つ一つ選ばれた食器でないと美味しそうでなくて・・・、私は食べないの。」
と、ちょっと苦しそうに言う。
私;「ん?どういうこと?」
彼女:「やっぱり、こういう料理にはこういう食器ってあるじゃない?だからそれをやってないで、
いつも、何にでも合うような食器に並べられると、食べたくなくなってしまうの。」
私:「それで、作ってもらっても食べない事がある?」
彼女:「そう。母がね、(金沢出身)器に凝っていたでしょ?お茶の道具は勿論のこと、
普段の食器にもこだわっていたから、それが当たり前なのよね。」
私:「ふ~ん、そうなんだ。私も食器にこだわった時期はあったけど、今は家族二人だし、
以前使っていたものなんて奥の方にあって、いつもは同じようなものばかり使い回してる。
どちらかと言えば、以前のものは断捨離したいくらいに思ってる。」
と、言いつつ普段のメニューを思い起こしていた。
決して彼女はそれを自慢したりしているのではない。
他の家の様子を知らないだけだ。
そう言えば、お宅にお邪魔すると、何気なくお抹茶を立てて二人分の、それぞれが違う
趣のあるお茶碗で出してくれる。
私はお抹茶が好きだ。
器が好きだ。
だから喜んで、矯めつ眇めつ(ためつすがめつ)お茶碗を回して、味わわせてもらう。
だから茶室でなくても、普段のテーブルで、ちょっとした和菓子と一緒に飲めたら
それだけで、ご馳走なのだ。
多分彼女にとっては日常に近いのだろう。
コーヒーでも、豆から挽き始めるから
「ご主人が拘っているの?」
と、聞くと、
「私が拘ってるの。」
我が家ではコーヒーメーカーに粉のコーヒーを入れるだけという入れ方だから、
「そうなんだ~。」
とカップごとにゆっくり淹れられるコーヒーを眺めている。
ここで、発見なのだ。
こんなに一つ一つに拘る人だったんだ、と。
ある時など、暫く使ってなかったお茶室に入るように言われて、懐かしさと共に、
入室したら、”立礼(りゅうれい)”の準備がしてあって、お互いに亭主とお客様を
入れ替わって、お点前を(もう、昔のことだから、適当もいいとこ)しあってお茶を
頂いた。
その、お道具は中々日常で見ることもできないようなものだった。
「塩月弥栄子の茶室」より引用↑
もう、お母さまが亡くなってからそのままにしてあったらしくて、大切にされていた
だろうお茶の道具が積み重なっていた水屋も目に入ったけれど、彼女本人は茶道教授
の免状は取らなかったので、お弟子さんに、場所を提供する形で、またお茶室は使われる
ことになったと聞いた。
ご自分は茶道を極めていたけれど、子供は子供と、同じ道を強要などしなかった彼女の両親
の考えていたこと、日常の生活などが想像できる。
自分が子育てをした時期、元気に食べて寝るという毎日を送るだけでいっぱいだった。
子供時代の自分がそうだったように、外で近所の子供達と元気に遊んだのは私の時と同じだ。
スイミングなどのお習い事は身に付くことなので市内大会に出場位までできた。
しかし、彼女が育てられたような子育てはリアルに自分の世代でさえできなかった。
なのに、彼女の家の文化の奥深いこと。
日々の一つ一つを丁寧に暮らし、そういう両親を今でも尊敬している彼女がいる。
両親の写真はいつでもそばに飾られている。
故郷の地元と都心にレッスン場を構え、どちらにもグランドピアノが置かれているので、
これから片方は整理するつもりでいると話す。
そんなことも知らなかった。
そうして楽器の話になると、私の無知を思い知ることになる。
「質のいいピアノというのは弾いて弾いて育てていくの。そうしていい音になっていいくの。
でも、普通のピアノは育てることができない。みんな同じ音。そこが違う」
という、ピアノも両親が選び、与えてくれたものだと感謝していた。
そしてその値段を聞いてまたビックリ。
高級車と並ぶくらいするなんて・・・。
そして師とする先生、学校選び、それらぜ~んぶを与えられて、彼女ができていたのだ。
元イギリスの首相のサッチャーさんが言っていた言葉が思い出された。
「教育とは摺込まれたものだ」
摺込まれた本人と一体化して、本人そのものになったこと。
良い摺り込まれ方と悪い摺り込まれ方は世間にはある、現実だ。
彼女は彼女本人がそういう教育の賜物だと分かっているだろう、彼女も子育てをしたのだから。
彼女の子供も音楽家になり、今は海外で暮らす。
親にしてもらった教育と、自分がした教育を考えると、時代の違いはあっても、ギフトを
与えることの、普段も含めて、ギフトを与えるエネルギーと知識は本当に特別なものだと気づく。
そんな彼女と交流を持てたことは、私の人生にとって大きな意味があるのだろう。
これからは、もっとお互いを知り合って、どこかがカチッと鍵が合うような二人でいられそうだ。