車で移動中に、泣けたことがあった。
交通事故に遭遇したわけでもなく、煽られたわけでもない。
お天気のいい暖かい日だった。
道路には忙しく行き交う車が一杯だ。
「みんな働いているんだよな~。毎日のことなんだよな~。」
と、車の流れの中で辺りを見回した。
「息子たちも、それぞれの仕事してるんだろうな~。」
と、必要な時だけ会えばいい、というスタンスで暮らしている息子の事を思い出した。
当然、彼等も子供時代、青年時代と一緒に暮らして、今は皆自立して、それぞれの
仕事をしている。
私はそんな今を、あまり心配することもなく、相互干渉することもなく、相互依存することもなく、
それぞれが自立して暮らす方法としていい状態だと思っている。
周りを見渡すと、もう、「おっさん」の息子に頼まれた事は、
「仕事していて忙しいだろうから手伝ってあげるのよ~。」
と、別所帯でも、相互依存している家庭もある。(ちょっと愚痴を言いながらも嬉しそう)
それぞれの家庭のやり方があるんだから、と理解しつつも、
「もしかしたら、私が、どちらかというと冷たいのか、相互依存が嫌なんだろう。」
と、ベタベタ家族が嫌いな自分を振り返る。
夫ともそうだけれど、それぞれとある程度の距離感を持った家族だ。(に私がしたんだろう。)
だから、私に生活感がなくて、ずっと独身だと思っていたと驚かれたこともある。
でも、子供が危機状態の時は素早く駆けつけるし、親の力が必要となれば、何でも
できるし、してきた。
瀕死の動物を、どんなことがあっても助けるようにだ。
長い年月にはいろんなことがある。
その「いろんなこと」がそれぞれの関係、絆を確立していく機会だったと思う。
困った時に親を頼り、頼られた時こそ出番だ、と応える。
それ以外は淡々としていていい。
だから、普段は何の連絡もない。愚痴もない。
私が独りで海外に行くと聞いて、息子たちは空港まで送ってきた。
心配だったんだろう、口には出さないけれど。
しかし、そうして旅をしっかり楽しんでいた母親を見ていて、彼等もそれぞれ独り旅をするようになった。
そんな私が、
「息子たちも、毎日仕事してるんだろうな~」
と、突然想う。
「朝が早い時は大変だろうな~、食事はきちんと食べているのだろうか、雨の時は?雪になってない?」
なんて、小さい子供を思うように思いを巡らす。
そしたら、涙が出てきたのだ。
「成長したな~。辛い事だってある筈なのに、辛いなんて言ったことないもんな。仕事の愚痴も言わないし、
黙々と頑張ってるな~。男になれたな~。」
と思いが溢れてきて、車の中だから、独り泣いた。
感情が揺さぶられたのだ。
振り返れば、一瞬に近い間に、これだけの思いで泣けたのだ。
泣いたら気持ちがスッキリしたので、
「あ、こうして涙を出すって、気持ちがいい。」
と、気づいた。
ちょっと恥ずかしい出来事だけれど、CDなど聴いていて曲が盛り上がる
部分と重なったりすると、余計に感情はわさわさ揺さぶられて涙が出てきてしまう。
泣ける映画もあるし、泣ける物語もあるし、泣けるYouTubeもあるので、考えてみると
私はしょっちゅう涙を流し、鼻を詰まらせているようだ。
いいのだ、我慢しない。
どんどん泣いて、すっきりしていようと思っている。
「涙活」の効果は↓で。
https://manatopi.u-can.co.jp/life/160825_956.html