それって当たり前?

日々感じたことを徒然に。

「蓼の海」

この季節になると思い出す、映像のような場所がある。

 

と、いっても現在の動画のように繋がった映像ではない。

 

一泊二日の下諏訪の思い出だ。

多分、まだ中学生時代の冬休みだったのだろう。

当時仲良くしていた友達に、下諏訪の親戚に遊びに行くので一緒に、と誘われた。

二人きりで行くのに、何故私だったかは分からないが、私は喜んで行った。(らしい・・。)

 

冬空の、雪を路端に除けた状態の道路が湿っていて、側溝から湯気が上がっている様子は、

太平洋側の太陽が照って、乾いた地方とは違って、

「雪国に来たんだ~。気温が低いから温泉が湯気になるんだ~、いい景色だな~。」

と、感動したのを覚えている。

まだ、中学生の二人が列車で辿りついた雪国だった。

 

もっと後には長野県の他の観光地にも行くことになるが、多分初めての「諏訪湖」周辺だった。

一応、スケートができるというので、まだ、「マイスケート靴」など、持たない時代に何とか買ってもらって、

スケートにはまっていたので、靴持参だった。

 

そうか、友達で、旅行が好きで、スケートができる人に声掛けたのかな~?彼女。

それでも、女子はスピードスケート用やホッケー用ではなくてフィギュアスケート用が当然だった。

 

それで、次の日に連れて行かれたのが「天然のスケート場・蓼の海」だった。

 

記憶は朧気なので、周囲は雑木林で、荷物を置くロッカーとか、入場料とかそんなものはなかったと思う。

 

私達二人は転ばないで滑れる、という程度の技量だった。

ところが、小学生、あるいはもっと小さな子供達が、あのスピードスケートの選手のようなスタイル、

上体を前傾して、両手を腰の後ろで組む格好で、スイスイ滑っているんです。

地元の子供達がコーナーで、脚を外側から入れて交差するフォームで、グルグル回っていた。

 

私達は片方に重心を移し、蹴るというフォームなど、知らず、何となく氷上を移動していた。

地元の少年少女スケーターが恰好よくて、滑る事を忘れて呆然と見ていたように思う。

 

後にああいう光景が、スキー、スケート競技でオリンピック選手に成長する子供たちの原点だったと

理解できた基になっている。

ジャンプもカーリングも、地元だということで始めた選手は多いと思う。

 

「天然湖」でリンクができる、そこで滑った記憶は当時は衝撃的で、自分がそこにいたことが

不思議で、こうして振り返ると、後々冬季オリンピックをTV観戦する時や選手のプロフィール

を知る時、どんなに現実的に見ることができたかという点で、ものすごく役立ったと思うのです。

 

地元の子供のスケーティングフォーム、そしてスピードは脳裏に焼き付いて離れない光景でした。

それが「蓼の海」だった。

 

現在の映像がこちら。

水田灌漑用の溜め池として建設され、天然のスケートリンクとして利用されていた事も有ります。

との説明がありました。

http://www2.odn.ne.jp/robend/sightseeing/suwa/tatenoumi.html

 

現在では、スケートはできないようですが、あの頃行っておいて本当によかった、と心から

思っています。

青春の思い出と言っても過言ではありません。

 

後に結婚して子供を持って、スキーやスケートの経験をさせてあげられた時も、親として

子供と一緒に滑ってあげられたことは双方にとって大きな自信と喜びの元になってくれたことは

間違いありませんでした。

「蓼の海」が軸になってくれたのだと思います。

 

 

追記:

 

泊めて頂いた親戚の家のお布団が暖かくて、ワカサギの天ぷらが珍しくて、おばさんの歓待ぶり

が心地良くて、あんな大人の女性に憧れたものですが、今自分はそんな存在になれているか

自問自答してしまいます。