それって当たり前?

日々感じたことを徒然に。

「柿の木」のその後。

工事の日取りは確実にやってきた。

 

切られてしまう「柿の木」を見たくなかったので、工事の音だけに耳を傾けていた。

後で行ってみた。

      

 before      

 

 

    after

もう、あの元気な「柿の木」はなかった。

 

全く関係のない人に、この話をしてみた。

スマホの画像も見せて。

「勿体ないね。根っこを保護して家ができてから移植はできなかったのかしらね?」

と、言っていた。

 

スペースの問題もあるけれど、我が家も現在地に移転した時、以前の家の庭に植わっていた「柘植」の木が

20本程あったので、全ては移植できなかったけれど、一部半数程を現在地に移植してもらった経緯がある。

 

くどいようだが、「実」の成る木というのが、本当に惜しい。

「今までの時間」が惜しい。