それって当たり前?

日々感じたことを徒然に。

理想のおじいちゃん「友蔵」さん。

さくらももこさんが亡くなられて、「ちびまる子ちゃん」に関するニュースは国民へ癒しを届けてくれている。

 

私はあの「ピーヒャラ、ピーヒャラ♪♪」という曲も聴いているし、夕方のオンエアーも知っていた。
でも、ゆっくりと観ることがなかったので、ニュースで知ることが沢山ある。

コメントされる方々は、登場するキャラクターの好みがあって説明されるので、私には知らなすぎることばかりです。

 

その中でおじいちゃんの「友蔵」さんのことから自分の子供時代を思い出したのです。
わざわざ思い出さなくても、すっかり固定化してるので今でも自分の幼児期形成に大きく関わった人だと思っている人です。

 

まるちゃん家は三世代同居の家族で、その中での出来事が描かれている。(あまり詳しくないので、”らしい”です。)
それで、「友蔵」さんですが、実在の人物で、家族からは嫌われていたようです。
だから、さくらさんは理想の姿としてキャラクター作りをしたということです。
追々、「ちびまる子ちゃん」をゆっくり読んでいきたいと思っています。

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私の幼児期も三世代同居で、父の弟もいたので、小姑付きということなんでしょうか。
当時はそんなもんだと思っていたけれど、祖父母、両親ともに難しい家庭だったかもと振り返る。

子供時代、それが嫌な思い出ではなく、家族が多くて、ひな祭りや、餅つきや、大掃除までしていた年中行事こそ、それが当たり前だと、結構楽しかった。
毎日の食事自体も、ちゃぶ台二つ並べて7人で、朝からきちんと「頂きます!」と全員で言ってから食べていたので、現在から比べると、基本の生活を味わえた時代だったと懐かしく、感謝する思いです。

 

そして私のおじいちゃんとの思い出は、おじいちゃんと通院したことだ。
私は当時の湯たんぽでよく低温火傷をした。
これは普通の火傷より始末が悪く、全治まで時間がかかる。

だから母とおじいちゃんが、手分けして通院治療していたのだと、今になって思う。
私は扁桃腺もすぐ腫らすので、その治療の時の病院の風景も時々思い出す。
そんな子供を家族で面倒みてくれたのだろう。

 

おじいちゃんが自転車の荷台に私を乗せて連れて行ってくれてたのだ。
すごく”まめ”な人でじっとしていられなかったのかもしれない。

朝起きると、すぐおじいちゃんのいる所へ行く、すると、
「おお、〇〇子、起きたか、はい、お目覚だよ」
とお菓子をくれた。

 

私は嬉しかったし、習慣として、子犬のようにもらっていたのだろう。
ただ、母はどう思っていたのか、今になって大人の世界を心配する。

 

でも、おじいちゃんの自転車も、お目覚も、私にとってはかけがえのない事で、自分が
複数の人達から大事にされていたという記憶があったかくて自分形成の要素の大きな部分を占めている。
(それにしても、当時自転車を乗りこなすおじいちゃんて、そんなに多くなかったかも、と推察する)

 

そのころは近所のお向かいさんとも親しかったらしく、そこのご主人である「おじさん」も私を可愛がってくれて、出勤時だったのか、幼稚園に行く私をやはり自転車の荷台に乗せて送ってくれていた。
そこのお姉さんたちにも可愛がられて、お家に行ってよく遊んでもらった。

 

そんな記憶が「友蔵」さん繋がりで蘇ってきて、
「うん、三世代同居の家の子供っていいものだよ」
と、体験上、言ってみたくなった。

 

母も近所の子供ともていよく遊んでくれたので、自然と我が家は子供が集まり易い家になり、私も自然と中心になって遊び、遊び方も上達し、自分に自信を持てる子供時代を過ごせた。

 

それは、今でも、どこに行っても、積極的に物事を捉えることのできる人間でいれることに結びついている様に思えて、三世代同居に憧れる人もいるのだろうが、ごくごく自然にそんな日常を、「ちびまる子ちゃん」家のような子供時代を送れたことを幸運だったと思わせてもらうことになった。

 

気づかせてくれた「ちびまる子ちゃん」と「友蔵」さんに感謝です。

ありがとうございました。