年賀状事情
2018年の年賀状の行き来も一段落して、ふと考えた。
それぞれの人の個性って変わらないものなんだ、ということ。
皆さん、次の年の年賀状を作る時点で、
「来年のはどんなデザインにしょようかな~」
などと考えて構想をねったりするものだと思います。
来年の干支は?その干支を写真にしようか、イラストにようか、文字にしようか
などと、楽しくも、ちょっと苦痛な時間を過ごすのではないかと思います。
さあ、新年が明けて、友人、知人からやって来た年賀状をワクワクしながら眺め
はじめると、・・・宛名のある表面ではなく、裏面を見ただけで差出人の顔がわかる。
ご自分の趣味の木版画、水墨画、イラストなどで、毎年個性満載の方。
一年間のアルバム総集編のように披露してくださる方。
家族が増えた、育児の成長を写真で紹介するもの。
主義主張を葉書一面に綴られているもの。
あまり個性的にならず、伝統的なイラストと定型文のもの。
これらをカテゴリー別に分けようとすると、多分分類に入る方々は毎年
変わらないと思われる。
これは私にも当てはまるかと思いますが、個人個人の「年賀状」というものに
対するイメージがあって、それを毎年続けることだと考えているのかな、
と思います。
いや~、皆さん少なくても、十年以上交換している方なら、年齢を重ねていくと、
いろいろあって、考え方や、ご自身の中身や外形なども、変化していくものと
考えられますが、・・・、ああ、年賀状の形態は変化がないのだ、と感じています。
「変わらない、差出人が・・・わかる」
年賀状事情です。