それって当たり前?

日々感じたことを徒然に。

ひろゆきが語る「ホワイトカラーの仕事なんて高校生でもできますよ」

https://diamond.jp/articles/-/267174


日本の匿名掲示板として圧倒的な存在感を誇った「2ちゃんねる」や動画サイト「ニコニコ動画」などを手掛けてきて、いまも英語圏最大の匿名掲示板「4chan」の管理人などを続ける、ひろゆき氏。

 

 

底辺バイトをやっておこう

バイトをしないまま新卒で企業に就職してしまうと、社会の部分を見ないまま終わってしまう。

世の中の大半の仕事は、高校生レベルでもできることが多いのにだ。

ホワイトカラーの仕事だって、高校生の学力でできる仕事ばかりなはずだ。

一度、自分の仕事について考えてみてほしい。

「これ、高校生でもできるんじゃない?」

そう自問自答してみよう。

同じ仕事でも、高卒か大卒かで給料が異なる。大卒で偉そうにやっている仕事でも、高校生にマニュアルを渡せばできることも多い。

机に座って簡単な事務仕事をしているだけなら、おそらく高校生にだってできる。

そうであるならば、この先、不景気が続いたら、真っ先に切られる仕事であることを覚悟するべきだ。

それに気づいているなら、「もっとレベルの高いことをやろう」と焦ったほうがいい。

もしくは、自分の今のポジションを守ることに全力になるべきかもしれない。

高校生が集まって回ってしまうような職場は、本当にクソ野郎ばっかりだった。

ただ、世の中の底辺レベルが見られてよかった。

これがもし、大卒の会社員として彼らを管理する立場から接点を持ったとしても意味がない。上司がいる前では、彼らはマジメにがんばっているフリをするからだ。

どうやって手を抜いて、どんなズルをしているかは、同じ立場で話してはくれない。

「こいつらダメだな」という状況をリアルに味わえるのは、たぶん学生時代だけだ。

この経験は、社会人になってしまうと体験しにくい。

僕の今の年齢で突然コンビニのバイトをはじめたとしても、高校生は仲間だと思ってくれないだろう。

僕は未知な部分をなくすことに喜びを感じる好奇心があるので、クソ仕事をやってよかったと心から思える。まあ、それが一生続くと地獄ではあるのだが。

 

 

「僕は未知な部分をなくすことに喜びを感じる好奇心があるので、クソ仕事をやってよかったと心から思える。」

 

上記引用

 

 

この記事の一部抜粋になりますが、頷ける部分だったので投稿させてもらった。

 

社会人になってから勤務した会社はそれはそれで心構えも違ったように思うが、

アルバイトという身分で仕事をするのは学生だったかもしれないが興味深いことだった。

 

実家の近くに突然できた小児科医院に、何の資格もないのに何かできるだろうと

「アルバイトさせて下さい。」

とお願いしてみた。

通勤時間が短いのが魅力以外の何ものでもなかった。

 

医院の方でも、身元がはっきりしているのですぐに受付から雇ってもらった。

勿論、夕方からの受付だったが、徐々に慣れてくると医師のお手伝いや、お薬の調合なども教えられて、学校とは別の社会の一部みたいなものを見たことが勉強になった。

 

後に結婚して子供を持った時も、その医師の家族とも懇意にしていたので小児科病気の際

には安心して診て頂いたような結果になった。

 

残念なことにその医師は今は亡き人になってしまわれたが。

アルバイトがいい経験になった一つです。

 

学生時代だから春休み、夏休みなどの時期は学生のみのバイトもあった。

 

市内の大手書店で新学期の生徒用に売る教科書の販売も楽しかった。

期間限定のバイトには同じような学生が集まる。

だから仕事以外の、他校の学生たちと知り合うキッカケとなったことも、

友人の輪が広がると言う意味で一つの経験となった。

 

ファミレスでバイトもしたし、洋服屋さんでもした。

単発のものならまだまだある。

 

ファミレスの中では、内部のヒエラルキーみたいなものがあることも知ったし、

洋服屋については、仕入れの取引先のメーカーに連れて行ってもらったり、

季節を先取りした展示会なるものがあることも知った。

 

アルバイト先のどの企業でも、開業医でも、どのようにして社会と繋がっているのか

、そしてそれぞれのトップがどんな人物なのか、どんな企業展開しているのか、

そして、そこの従業員たちはどんな働き方をしているのか等々、内側から見ることが

できたことが、大きな体験となった。

 

いろんな組織の中で時給分働くことがどんなことか体験することは、専業主婦となった後も

「夫が外で働く事の大変さ」を実感として捉えることができた、また、どんな仕事をしている人に

対しても、一定の組織の中で頑張っている人達なのだと、労いの気持ちで見る姿勢が身に付いたと思っている。

 

その上、”社会は誰かの仕事で成り立っている”という基本の気持ちが育った元になっていると思う。

 

だから、どこででも、どんな仕事でも、目の前に働く人がいると感謝の気持ちになる。

 

ひろゆきさんの言う底辺の仕事だったかどうかはわからないが、精神的なストレスがあったとしても、有難いことに体力的なストレスはないアルバイトに出会っていたので、そこは

感謝するべきだろう。

 

私の世代では共働きよりも専業主婦に収まる人が多かったので、外で仕事をした経験のない人や、アルバイトの経験のない人もいるが、どんなに家計が潤っていたとしても、ボランティアでもいいので、社会と接する仕事を任される、それにきちんと結果で応える労働を経験することは考え方まで変わることだと思う。

 

だから、ひろゆき氏の記事に納得したのです。

 

 

 

 

最後に、彼の世代も、彼を生む社会の事情があったのだ。

 

下記引用

 

僕は、1976年生まれの「就職氷河期世代」だ。
この世代の特徴は、「自分の頭で考えることができる」ということだと思う。


僕らより上の世代は、バブル世代であり、時代を謳歌してきた。会社からも守られてきただろう。

彼らの世代が、いま、早期退職でリストラの嵐に巻き込まれている。僕の世代は時代が悪かったぶん、考えることを余儀なくされ、おかげで能力が身についた。

 

できるだけ長期的な目線を持ち、「よりよい選択肢をとる」というクセがつくように、根っこの部分を書いた。

 

以上引用