それって当たり前?

日々感じたことを徒然に。

未知なる宇宙に挑む。

突然の宇宙飛行士の話です。

ユーリイ・ガガーリン、1961年、世界初の有人宇宙飛行としてボストーク1号に単身搭乗した人物です。

 

NHKBS放映。2020/06/11

 

最近、民放のTV番組は事細かく同じような内容ばかりが流れるので、ドキュメンタリーが見られるNHKBSを観る傾向にある。

すると意外な事実を知ることが多くて、頭の中に納まりきらないような状態でいる。

「未知なる宇宙に挑む」だった。

 

有人宇宙飛行に成功したガガーリン少佐のドキュメンタリーだった。

1961/04/12のニュースなど、2000年以降生まれの世代には大昔のことになるだろう。

 

その後のアメリカのアポロ計画11号の月面着陸などは私は覚えているのだ。

 

だから、ドキュメンタリーの中のことも一部は現実なのだ。

 

しかし、当時日々のニュースとその価値を考えるような大人ではない。

 

しかし、今ネット社会の中で当時の事、歴史的意味、政治的意味を掘り起こすと実に興味深いのだ。

 

ガガーリンの詳細はこちらを↓を見て下さい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3

 

1934/03/09~1968/03/27

 

 

ガガーリンの言葉、

「宇宙の圧力よりも地上の圧力の方が重い」

運命の激変だったのだろうと推測する。

 

1967年には親友でもあるウラジーミル・コマロフを事故で失った。

 

彼は親友を事故で亡くしてから後34歳の若さで飛行中の事故で亡くなっていると知った。

それも詳しいことはわからないのだ。

27歳で初飛行、34歳で死亡だったなんて、

彼にとって”未知なるもの”は宇宙よりも地球そのものだったのではないかと思う。

 

ただ、彼は有人宇宙飛行の成功の後も、宇宙飛行士として飛びたかったし、飛ぶつもり

だったらしいが、当時のソ連が、

「初の宇宙飛行士を死なせるわけにはいかない。」

と、飛ばせなかった。

 

彼の成功は本当に、氷山の一角の事実なのだが、その下に、裏に、過去に、当時の米ソ冷戦時代の政治的な実験やその隠蔽などがあることは想像できるので、彼の苦しみを今頃になって考えることになった。

 

 

そしてこの、

「未知なる宇宙に挑む」の後半は、

アポロ11号の月面着陸後の13号の爆発事故による87時間後の奇跡の生還のドキュメンタリーだった。

後に映画化もされている事実だ。

 

その結果は、

何と、「成功した失敗」と呼ばれているという。

 

どこにも、何時の時代にも既得権を持つ者を説得しなければならない現場の技術者ありきで、NASAも例外ではなかったと知り少し落胆した。

 

それにしてもドキュメンタリーは興味深い。