それって当たり前?

日々感じたことを徒然に。

9年目を迎、あの日私は。

東日本大震災から9年目を迎える。

2011/03/11の午後2時頃だった。

 

あの日、私はこの季節柄、耳鼻科の診察を受けるべく出掛け、診療時間までの時間を

百円ショップでの買い物にあてている最中だった。

 

まだ、支払いが済んでいない時点で店内の商品がザワザワと揺れ始めた。

地震だと気付き、店員もお客も一斉に外に飛び出した。

距離として500キロを超える場所で酷い揺れに驚いたのだ。

そして揺れが収まって、支払いを済ませ、午後3時診療開始の耳鼻科医院に行った。

 

待合室の患者さん達も私も、地震の事を気にしながら落ち着かない様子だった。

実際、その当時まだガラ携であったが、ワンセグ機能でニュースを見ていて、

その映像が生で現在起こっている映像と信じられないで、

「まさか!、嘘でしょ?」

と、いう思いで映像に釘付けになった。

 

 

一人で見ていられないので、隣にいた患者さんにその映像を一緒に見て貰ったのを覚えている。

 

その後の事態はニュースで、その夜は海中に流れ出た油に火がついて暗い海面を炎が延々と照らしていたのも脳裏に刻まれている。

その時点で、その海面で救助を待っていた人がいたかもしれないと、まだ3月の東北の海の

冷たさを思ったのも覚えている。

 

その後の被災者の助け合う様子や避難所の様子や、まだまだ出てくる救助者の様子や、

現場地方が混乱している様子は次々と報道された通りだった。

 

あれから、本当にいろんな実話を見聞きした。

映像は、今の時代いつでも検索次第で今でも見ることはできる。

 

ただ、被災した子供達も大人になり、大人だったが高齢者となった人々もいるこの歳月、

この日が来る度に、

「あの日、私は・・・。」

とリアルタイムで受けたショックは忘れないだろうと思う。

 

あの日以来、我が家では猫のための避難袋(リュックサック)を用意していつもベッド脇においてある。

人間の避難先は確保されてもペットの食料や居場所は確保されないと思い、缶詰めや水やリード等、思いつく限りの物を詰めてある。

 

それが、利用されないことを願うのみだけれど、世の中にあることは自分の身に起きないことではないと、あの日のショックを忘れないでいたい。

 

最近のニュース映像では鉄道の復旧や飲食店、スーパーマーケットなどが建ち並ぶようになって、人々も戻り、ほっとしたりしています。

 

亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、復興地の方々のご健闘とお幸せを心より

お祈り致します。