それって当たり前?

日々感じたことを徒然に。

社会的成功者の男と手先が器用な男。

(A)

仕事上成功者とみなされる会社社長、その職を息子に譲り、その後会長職も引退しても尚会社に通い続ける。

席だけは、社長室の一角に設けてもらっている。

実際の仕事は無し。

 

かつて親しんだ、会社の取引先の身分が同様な人脈との付き合いのゴルフ行きなどが日課

あるいは、会社の取引先の人脈の取り持ち役など。

退職金、株など潤沢に保持している。

年齢的には持病も持ち合わせている。

 

 

家庭では、殆ど何もしない。

IT機器の活用は不得意。

従って私的な年賀状等の整理や作成、発送などもできないし、しないので全て妻任せ。

かと言って妻もIT機器に強いわけではないので、外部の力頼み。

 

(B)

一方、社会的な仕事としてはあまり恵まれず、転職も重ねて定年退職時期を迎えたが、潤沢な年金とは言えない老後生活を営む男性とその妻。

自動車の修理などもでき、器用さということでは、家屋のメンテナンス・修理などは自分でこなす。

自宅は古いが、修理すべき箇所はどんな箇所でも自分で直し、リフォーム的なこともできる。

健康面は大丈夫で今の所持病無し。

IT機器に強くて、上記(A)妻と姉弟関係にあり年賀状制作等請け負っている。

(A)妻のIT機器の緊急事態時には解決に関わる。

結果アルバイト的な収入になる。

 

こういう対照的な男性二人を知って、世の中にはその中間のような男性もいると思うが、実際どちらが生活力があるのだろうと考えてしまう。

 

(A)の男性は自力でできないことは経済力で解決できることは多い。

(B)の男性は経済力で不足する分は身に付けた器用さで補える。

 

世の中の一般的な男性はある程度の管理職クラスで引退する時期を迎え、適度な退職金と生活できる程度の年金で老後生活を賄うのが平均的ではないだろうか。

その後の生き方は千差万別だ。

 

経済力と健康と、老後の目的意識をしっかりと保持して前向きに生きている人はいる。

しかし、意識を持っても不意の病に倒れることもある。

人生100年時代と言われる現代をバランスよく渡って行ける(今回は)男性とはどんな人なのだろう。

本当の”生活力”って何だろう?と妻たちとの関係性とも考えながら思う。

 

どちらかがどちらかに持たれっぱなしではなく、お互いに不足して来る領域を補い合えるスキルを持ち、助け合って暮らしていけるのが理想なのではないかと思うのだが、現役引退後の男性は如何なものでしょうか?

 

追記:

こういうことを考える時、「ポツンと一軒家」に登場する男性も女性も、山奥で自給自足の生活を送る中、年中が、季節季節が、一日が、全て生活するための時間になっていて、その為のスキルこそ生きるためのものであって、感心させられることが多い。

 

便利な生活に慣れれば慣れる程、私達は元々持っている生きるスキルを放棄してしまっているのかもしれない・・・・。