それって当たり前?

日々感じたことを徒然に。

もう一度会いたかった…。

年賀状欠礼葉書きが、また届いた。
その中の一枚にショックを受けた。
「まさか!」と、「いつかは…。」が現実となった。

 

2003年から2009年まで木版画工房でお世話になった先生のご遺族からの欠礼状だった。

 

いろんな物を見るのが好きで、時間があると、用事があった時の近辺で、と自分の感覚に閃いた時に、美術館や小さな工房やお店などに出掛けていた。

 

そんな時に出会った「小さな美術館」だった。

郊外のちょっと傾斜地に、そのまんま傾斜を利用したアトリエ兼作品展示の建物があった。

周囲の木々に囲まれて、自然素材で作られた自己主張しない、しかし、非常に設計に拘った建物に惹かれて、すぐに、入っていった。

そこでは、数人の生徒らしき人と優しそうな先生が版画の制作中だった。

小窓があって、そんな様子を見ることができた。

 

「生徒がいるって、教えてもらえるのか?」

と思い、すぐに訊いてみた。

 

定員があるので、すぐには無理だとのことで、欠員が出たら連絡を下さるとのことだった。

暫くして連絡があったので、勿論飛びつくような気持ちで入会をお願いした。

 

それからは、毎回その場所に行くことが気持ちを浄化されるような気分で楽しみになった。

先輩の生徒さんとも親しくなり、先生の版画制作の現場もリアルタイムで見れて、アトリエ内の道具の準備、配置などもその一部をお借りできて、本物の版画家の日常や考え方、視点などにも触れさせて頂いた時間だったと思う。

 

先生とスタッフと生徒全員で古い町並みを訪ねる旅行などにも行った。

 

色彩に拘る先生はいつも素敵な色のシャツを着られていた。

白髪とそのプルシャンブルーの「ポロ」のシャツがお似合いだった。

 

生活の隅々までが版画家のセンスで表現されていて、どの部分にも尊敬の念を持っていた。

 

実は実業家で、経営を譲ってからの本格的な版画活動だったので、そういう人生を完成させられた実力も併せ持っていらした。

 

主婦にとっては、時間が来ると食事の支度など、途中で切り替えが必要で、諸々の作業に阻まれることが日常だ。

版画活動はアトリエを持って、常に作業ができないと無理かなとの思いがあって残念ながら

辞めることになったが、先生との交流は年賀状で続いていて、アトリエにも伺わなくてはといつも思っていた。

 

高齢だったことは確かだったけれど、先生だけはずっと版画を続けておられるように思っていた。

亡くなられたのだ。

もう一度お会いしておくべきだったと、後悔の念が残っている。

 

 

先生から頂いた年賀状。

 

「2011」

この筍が彫りたくて練習した記憶がある。

「2012」 日本の、海外の、古びた木や壁の建物の様子を表現されるのが素敵だった。

「2014」 デフォルメが独特だった中の「富士山」。

「2016」「幸あれ」の一言に感ずる。

「2018」小さな自然に優しい眼差しを向けられていた。

 

みんなみんな賀状は宝物になっている。

額縁に収納された大きな作品も買わせて頂いて大事にしている。

 

先生に出会うことができて、木版画を教えて頂いて幸せでした。

ありがとうございました。

ご冥福をお祈りいたします。