それって当たり前?

日々感じたことを徒然に。

入院した妻を…。

毎日見舞うのは愛情深いから?

 

身近な関係の夫婦の話。

妻の体調が最近芳しくない。

昨年から予兆のようなことはあった。

 

今年の夏は傍目にも病気が進んだ?と思われる状態になった。

身体的な病が精神的な病も引き起こす可能性も出てきた。

 

私はその夫婦に何ができるか接触しようとすると、夫はそれを拒むような意志を感じ、それ以上関わるのを止めるべきだと考えた。

それが意思なら仕方がない。

 

ただ、

その夫婦の家族の一人もそんな思いを感じ取っていたので、夫がケアーしている以上その人の意志に反するやり方にも踏み込めないようだ。

 

結局、総合病院からの紹介で住まいのある場所から高速で1時間程の距離にある病院の専門医に手術してもらえることになって入院した。

術後の経過は良好のようで、夫は毎日その病院に通っているとのことだ。

 

  

 

家族以外には誰にも知らせないスタンスは変わらないので、私は知らないということになっている。

手術が成功して回復に向かったところで知らせは来るかもしれないが・・・。

 

そんな夫婦のことを普通なら「愛されている妻と尽くす夫」として感動物語として伝わるのでしょう。

 

しかし、そうかな?と思う自分がいる。

 

夫婦は今まで、妻がしっかりと仕事をし、定年退職後も暫く嘱託のようにして働いた。

どちらかというと、一家の大黒柱は妻だったのではないか。

夫は妻あっての夫であり父親をやっていたようだ。

 

だから、一家の世帯主のように、いろんな名義も妻となっている家だ。

家中の様々な管理は全て妻がきっちりと収めていた筈だ。

 

夫は立ててもらってはいたが、誰もが妻あっての家と認識していた筈だ。

 

だから、その世間体立派な妻が急に病弱になったことに、

「妻のプライドの為に、世間から隔離してあげたい。」と言う。

 

そうだろうか?

自慢だった妻を隔離したいのは夫本人ではないか?

愛情深そうに、尽くしているように見せてはいるが本当に妻本人のためだろうか?

 

天邪鬼な私は、妻本人の気持ちを知りたいと思っている。

そして、高速で1時間の病院へ毎日通うのは、夫が不安で堪らないからではないのか?

ずっと、夫の力量以上に立ててもらっていた妻がいない不安、いなくなったらと言う不安なのではないか?

もっと言ってしまえば”依存中”。

 

ある本にあったことを思い出す。

「仲の良かった夫婦の片方が亡くなると、残された方は非常に悲しむ。しかし、仲の悪かった夫婦の片方が亡くなった時残された方は、その後さっぱりと暮らしていけるものだ。」

 

結婚生活において円満であった夫婦の別れと、円満でなかった夫婦の別れの後はどちらが幸せなのか、と書いていた。

 

我が家は?

お互いに、毎日見舞いはいらない、独りを楽しむ方だ。

 

こんな辛辣な見方をする人間もいるということで許してもらいたいが、私は自分の意志を伝えられない囲い込みをされたら、その悩みで病状は悪化しそうだ。

 

内に籠らないで!と伝えたい。