それって当たり前?

日々感じたことを徒然に。

猫ちゃんの散歩終わった?

早朝散歩の皆さんと会うと、そう声掛けてくれる。

 

猫の散歩が終わって、猫は満足して家に入った後、庭の掃除やちょっと気づいた植木の

剪定などしてると、いつものワンコの飼い主さん達が散歩の帰途、声を掛けてくれる。

 

猫にとってはワンコ達には全く興味がないので、まだ猫が外にいると、気を遣ってくれる。

私の所にワンコが寄ってきてくれるので、遊んであげたい。

けれど、猫は関係なさそうに固まっている。

だから、飼い主さんは、

「猫ちゃんごめんね、迷惑だよね~、すぐ帰るからね。」

と、猫のぶそっとした雰囲気に、困った様子になる。

 

 

一方、ワンコは私と遊びたい。

私の軍手をボールのように丸めるとキャッチしたいと待っている。

だから、猫の様子を気にしながら少し、遊ぶ。

ワンコの飼い主さんは嬉しそうに見ている。

「遊び方がうまいんだよね~、そうして遊んであげるんだね~。」と。

 

ワンコにとって、遊びは最高のご褒美なのだ。

(空港で働く、麻薬探知犬など、薬物を発見した時のご褒美は係官がクルクルと巻いたタオルを奪い合う遊びをしてあげる。麻薬犬はその遊びがしたくてしっかりとお仕事をするのだそうです。犬の気持ちわかる~!)

猫だって、

「遊んで!」

と、決まった場所に来て催促する。

 

ペットたちの気持ちがわかるから、み~んな遊んであげたい。

 

でも、この時間内では両方とも中途半端になってしまう。

 

だからかな、私がフリーでいると、

「猫ちゃんの散歩終わった?」

と訊かれるのだろう。

ワンコに集中して遊べるからだ。

 

そして、ある特定の新聞を交代制で配達している人も、今年の7月の天気が日照不足で梅雨明けが遅かったので、中々会えなかった。

8月になって去年のような天気になったので、久々に会えて、

「猫ちゃんも元気ですか~?」

と、ちゃんと覚えていてくれたようなのだ。

 

私と猫はセットで早朝の皆さんと会う。

皆さんにきちんと認識されている「不愛想」な猫だけど、私は家族だけでなく、誰かの記憶の中に我が家の猫がいることが、ささやかに嬉しいのです。