それって当たり前?

日々感じたことを徒然に。

ス━パ━は一か所派?数店舗派?

何でも自分流、我が家流、実家流ってあるようです。

もっと広げれば、県民流、日本流、欧州流、北米流なんてことになる。

 

ちょっと広げ過ぎました。

スーパーの話です。

 

そう、友人と話していて、その人がスーパーを何軒も移動してお買い得品や、品目別に

安いお店を回るという事実を知った。

家族数の問題で、我が家の倍、4人だから全てに渡って消費量が多いから、成るべく

特売日を狙って買うようにしているのだそう。

 

全てに渡ってバイタリティーに溢れているという人ではないが、買い物に関しては凄く努力

していると思う。

 

私の買い物方法はと言えば、買い物の為に行く方法ではなくて、一週間の予定の中に、その帰途に買い物の時間を組み込むというもの。

 

もう既に、彼女流、と私流では買い物の方法もはっきりと違う。

 

それぞれ個人個人が何に重きを置いて生きてるかによって、行動パターンは違うのは当たり前のことだ。

 

と、いうことで、その”違い”をまざまざと感じたスーパーがあった。

たまたま、そこの近所に用事があって行ったので買い物時間短縮のつもりで、いつものスーパーと違う店舗に入った。

 

商品の陳列場所を探すだけで、買い物疲れしてしまう。

慣れない場所って無駄な動線を動いてしまう。

その上、チェーン店展開してるのにクレジット決済ができない、現金のみだという。

それにもまた驚いてしまった。

 

そして、地域が違うと買い物する人達の地域性みたいなものが出る。

慣れない場所だな~、とちょっとテンションが下がった。

 

では、ジムの帰途の買い物場所と決めているスーパーは何故違和感がないのか。

目的が「食料品」のみではないからだ。

食料品は主に1Fだけれど、2Fは「無印」、「GU」とか全国展開のお店もあるし、スタバもマックもレストランもある。

 

 

衣料品、本屋、CDショップ、スポーツショップ等々、買い物と同時にウィンドーショッピング

的に情報を取り入れる場所があるからだ。

 

「物」を観、観る人を見、それも曜日によって世代まで変化する様子を見る。

只、食料品を買うだけにいる人と、多岐に渡る目的の為に来ている人達の数も種類も違う。

 

そういうことで自然と入ってくる情報の刺激は全く違うと感じるのだ。

買い物を絞って専門店に行く場合、小規模店舗なら商品数も種類も限られる、大型店舗ならそこにいるだけで情報量の多い場所にいるということになる。

 

「特売日」を設けて消費者を呼ぶ店舗に行く人にはそれなりの理由がある。

ビールやお酒が目的の人は、はっきりとそれを言う。

 

でも、私は少々の価格の違いならば、買い物と同時に気持ちも楽しくなる買い物をしたいって思うのだ。

(商品によっては明らかに100円の違いがあるなんて物は、仕入れの数の違いだろうから、そこでは買わなければいいことで。)

 

同じ時間を掛けるのならば、どうも、数値よりも気持ちを大事にしているようなのが自分らしいと気付かされた、買い物事情でした。