それって当たり前?

日々感じたことを徒然に。

「ポツンと一軒家」考。#2

”「ポツンと一軒家」考”で考えていたことに繋がります。

 

 

「ポツンと一軒家」に住む人達に共通する、と言っていいかは分からないが、

皆さん迷いがなくてご自分の生活に筋が通った暮らしぶりだと感じていたのだ。

 

「ポツンと一軒家」の住人達は高齢者が多い。

そこに嫁ぎ、子育てをし、子供が巣立っていった後もそこでの暮らしを続けている

パターンが多いようだ。

(和歌山編は田舎暮らしの探求が目的とはっきりしているが。)

成人した子供達が山奥から降りて便利な町での生活をしているので、老夫婦のみ、

あるいは独りになった時点で、子供の世話になる、という形もあるようだ。

 

しかし、90歳近い老夫婦でも、まだ自給自足できることはやる、と自然体で暮らす

様子もあった。

都市部の老人であったら、デイサービスなどのお世話になっている世代の夫婦がだ。

中にはどちらかが足を患ったりしてあまり動けないという中でも、お互いに助け合っていて、

「ここの暮らしが一番いい。」

とぶれていない。

 

高齢の奥さんが独りで道路の側溝の詰まりを除いていたこともあって、何故独りでするのか訊くと

ご主人が病気をして、いままで通りにできないから、できる自分がするのだと言う。

田んぼがあるから、水を引く時期になる前にやっておくのだと、当然のように話す。

 

山奥だから、自給自足できるものは作るのは当然で、それでも必要なものは麓に下りて

調達する。

そうなると、生きること自体が自己調達の時間になる。

自然と向き合っての。

 

自然と向き合うこと、これが観察力をはじめとして、人間の持つ能力を限りなく引き上げる

のだろうと勝手に思った。

 

高齢者問題、介護と家族の問題、若者の世代で目立ついじめの問題、動物・子供への虐待

の問題などのことが解決されないまま社会問題となっている。

 

そんな中で「ポツンと一軒家」の住民達は自分達の暮らしを貫いている。

端から見れば不便では?と思うような暮らしなのに、

「空気が良くて、この眺めがいいんだよ。」

と、ゆったりと自然を味わっている。

 

何が違うのだろう?とモヤモヤしていた。

 

彼等は平たく言う「つるむ」ということをしていないのだ。

「個」を貫いているんだ。

 

「個」は「個」が育て、「個」で完成に向かう。

 

そうか、頼らない、頼れない、依存しないのだ。

依存しないためにどうする?

自立して、自律するのだ、と気づいた。

 

失礼だが、そんなことは考えてポツンと暮らしているのではないかもしれない。

けれど、環境が彼等の人間力を高めるのだろう。

 

つるんで、お互いに依存しあって成り立っていたら、依存対象が無くなった時どうなる?

倒れる。

倒れたくないから依存から離れられない。

離れない間は「個」の成長は無く、不安だらけだ。

 

ポツン暮らしの彼等は日々「個」を育て、ベテランになっていく。

生き方のベテランになっていくのだ。

 

大きな意味で「地産地消」というけれど、彼等こそその原点なのではないか。

 

映像として頭に浮かぶのは高齢者施設でスタッフのお世話になっている老人の集団と、

片や、段々畑の畦道もひょいひょいと歩き、自分の田んぼや、斜面に咲く四季の花を

大切に世話する老人の姿。

 

ポツン暮らしでなくても後者でありたいならどうする?

近隣や友人と付き合っていても、同時に「個」をしっかりと育てていなければならない。

いつでも「個」で生きていけるスキルと気持ちを育て続ければいいのでは。

 

すると、日々の暮らしの中(結局人生そのもの)から振り返った時、何をしたか、何ができたか、

自分の人生って何だったか、が見えてくる。

 

依存してでも楽しいと感じるより、きついけど頼れる自分がいて不安がない方が好きなんだ。

だから、ポツン暮らしの人達に惹かれるんだと、モヤモヤがはっきりとしてきた。

 

都市部での暮らしで便利な筈なのにイライラを感じるのは、自分が依存されていたり、

自分にばかりいろんな負担が被さって来た時だ。

でも、仕事が増えてもそれをこなせる能力があれば達成感を感じることもあるだろうし、

負担に対してどう対処しようか対策を立てて向かう時こそがスキルの向上のチャンス

なのだと考えれば、それも「個」育てになって、自分の身に付く。

 

そう考えたら、やればやる程「実」になることとして黙って、内に秘めて、ニヤリとやってやろう。