3月に入って、気になることと言えば、庭の木だ。
トネリコの木が毎年この頃になると「春落葉」という作用を起こす。
同じトネリコでも、そんなに葉の落ちない木もあるのに、一本だけ”毎朝”地面に落葉している。
「昨日掃いたばっかりなのに・・・。」
と、毎朝ご近所に舞っていかないように掃除する。
でも、周りをよく見ると、他の葉っぱも新芽を出して、ニョキニョキ成長している。
「う~ん、暫くの間はこの新芽たちとの闘いだな~。」
と、その場で剪定を決意する。
とに角、新緑の葉っぱは艶やかで、柔らかくて、確実に春を知らせてくれている。
しかし、しかし、なのだ。
このまま置くと立木がぼさぼさになって息苦しさを増す。
時々の剪定が、どうしても必要になる。
まだ少しの剪定で間に合うからと、「猫の散歩」が終わってから、目立つ部分だけ切った。
「朝飯前の仕事」くらいの剪定だったが、それでもさっぱりとした。
自然は正直だし、生きている証拠だし、私達だって生きるということは手間のかかることを
繰り返し、繰り返し、続けるってことで、それを丁寧に繰り返すか、どうでもいいと繰り返す
かでは生き方の質が変わってくるので、私はやっぱり丁寧に暮らしたい、と毎朝立木の
ご機嫌を窺っている。