それって当たり前?

日々感じたことを徒然に。

「太宰治とタケの映像から(1)」

NHKBSプレミアムの番組から。

プレミアムカフェ選 生誕100年 太宰治と故郷「津軽」。

 

あまりにも有名な太宰治なのに、初めて知ることばかりで観る機会があってよかったと感謝。

 

彼の著書「津軽」には書かれているのだろうが、私は読んでない。

彼の詳細はこちらで殆ど知ることができる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%AE%B0%E6%B2%BB

 

今回書くのは、

「3歳から小学校入学までは14歳の女中近村たけが子守りを務めた。」たけのことだ。

 

たけが修治=本名、津島 修治(つしま しゅうじ)の子守を辞めて青森の小泊(こどまり)に嫁いだ。

修治がたけを訪ねた時の話だ。

昭和19年5月27日に、地域の運動会に行っていたたけと会えた時に感じた気持ち。

「無足無風の気持ちであった。平和とはこんな気持ちのことをいうのだろう。」と。

 

その時の二人の様子が銅像になっている。

旅の翌年、終戦である。

豪農であった「ヤマゲン」(彼の実家)は戦後の農地改革で田畑の多くを失い、4年後太宰は玉川上水に身を投げる。

実家を継いだ跡取りの兄文治が、その家を手放したのは、彼の遺体が上がった7日後の、昭和23年6月26日だった。

 

故郷を思い続けた太宰治

著書に印されたのは家紋の「鶴丸」。

 

病弱だった母の代わりに育ててくれたたけへの思い。

少年の家来であり、家庭教師でもあった。

一番心休まる場所だったのだろう。

少年の心を思うと、たけそのものが「母」のぬくもりだったのだろう。

 

そのたけの映像がある。

「小泊の歴史を語る会」会長の柳沢さんが、撮ってくれてあったのだ。

14歳の時から修治の子守を務めた女中近村たけさん。

 

写真ではない、映像として残っている。

(私はこの録画を永久保存したいと思っている。)

 

こんな映像を発掘されたNHKの実力に頭がさがります。

と、いう思いを、「太宰治とタケの映像から。(2)」に続けます。