それって当たり前?

日々感じたことを徒然に。

瞑想するサル。

最近感じることと重なった記事があったので引用します。

 

以下引用

 「擦り切れるまで聴いた」。そんな思い出が復権を果たすのだろうか。カセットテープにブームの兆しだそうだ。個人の趣味的な記録媒体というより、音楽作品の発表形態として、再生機の新商品もある
 ▼往時世代の懐古でなく、送り手も受け手も若者中心のアナログ復権。レコード盤の生産量は、この10年で10倍に増えたという。ファッション性もさることながら、デジタル世代に響く音符の間のゆらぎは、世の変わり目が奏でる旋律か
 ▼平成時代の30年は、デジタル革命と歩を重ねた。1行表示の日本語ワープロ、肩掛け式の携帯電話、公衆電話のテレホンカード、短冊形ケースのCDシングル…。昭和からの移行期に並んだ商品は、もはや産業遺産の域だ
 ▼例えば、終戦30年前の1915(大正4)年、産業史を繰ればシャープペンやかっぽう着の登場とある。大正~昭和の「日進月歩」から昭和~平成の「秒進分歩」へ。暮らしの利便は日常生活をこえ、社会構造そのものを変える
 ▼30歳以上の国内人口は9257万人(10月1日現在、概算値)。平成への世代わりを経た者には、来年5月1日の改元は光陰矢のごとしだろう。人生100年時代到来が言われる中、うまく社会にさおさせるか、流れは急だ
 ▼かつて、携帯型カセットテープ再生機のCMで、瞑想[めいそう]するサルが話題を集めた。映像は米スミソニアン博物館にも収蔵された。人工知能(AI)社会に生きる者として、「0か1」の間をいく思考の“経路”には、そっと目を閉じて音楽に聞き入る余裕が必要かもしれない。

以上引用

 

平成時代の30年は、デジタル革命と歩を重ねた。

大正~昭和の「日進月歩」から昭和~平成の「秒進分歩」へ。暮らしの利便は日常生活をこえ、社会構造そのものを変える

この部分↑をまさにその通りだと同感した。

 

「日進月歩」から昭和~平成の「秒進分歩」へ、とは初めて目にする四文字熟語だ。

私も生活に中心として使っていたものがいつの間にか生活の片隅に追いやられて、どんどん新しいものを使った

この平成の時期だった。

カセットテープも、MDもフロッピーディスクも霞んで、USBメモリーだの、デジタルカメラだの、スマホ用急速充電器だの、

タブレット端末だの、MP870だの、光速Wi-Fiだのがどんどん必要になる度に押し寄せてきていた。

カセットテープの整理やMDの所在に構っている暇などなかった。

 

PCやスマホが便利に使える機材を整理しておくことで目いっぱいだったように思う。

だから大分断捨離したが、カセットテープもまだそのままある。

気に入った音楽も、MP3に入れていたが、今では聴きたいと思ったときにYouTubeで聴ける。

 

大きいのはガラ携がスマホになったことだ。

頻繁に使わない機器はどんどん隅に追いやられる、そんな時代だ。

新しいアプリがどんどん生まれ、書籍である図鑑なども、アプリが代わって説明する。

流れの急な「秒進分歩」の社会に、うまく竿させるかと、言う記事に納得だ。

 

そんな中での、瞑想[めいそう]するサル、の記憶が懐かしい。

映像も蘇る。

そして、記事も言う、「そっと目を閉じて音楽に聞き入る余裕が必要かもしれない。」が心に沁みる。

 

https://www.youtube.com/watch?v=V4IuLJFEzxY