故糸川博士が身近に感じられた、驚き。
久々に新聞のコラム欄に興味深い記事を見つけた。
以下記事引用
日本ロケット開発の父、故糸川英夫博士は語った。「時代感覚をシャープにするには、どうしても頭の中から旧型商品の在庫一掃をする必要がある」。60代でバレエを始め、80歳で45年かけて完成させたバイオリン演奏会も行った
▼米宇宙ベンチャーが計画する月の周回旅行で、最初の乗客となる衣料品通販サイト運営会社の前沢友作社長。「仕事=入力+出力」を持論に、週3日の刺激的な出力(出勤)と週4日の刺激的な入力(遊び)を掲げる。頭の一新は糸川博士同様にユニークで自由だ
▼前沢氏は世界の芸術家を招き、同乗させる構想も明かした。眼前の月や眼下の地球が、審美眼に与える想像力とは。氏ならずとも「何ができるか非常に楽しみ」であり、多様な文化圏から人選を願う
▼遠く見上げる月は古来、ロマンの象徴でもある。天にも昇る恋心を託し、はかない思いを月の光に投影した。輝く存在であり、おぼろな存在である。洋の東西、伝説は陰と陽。オオカミ男しかり、竹取物語しかり
▼SF映画「2001年宇宙の旅」公開から半世紀、月に人が住む時代の物語設定から17年が過ぎた。コンピューターの反乱に描かれた人工知能は現実となったが、月に人を送ったのも有人で月周回軌道に達したのも、46年前の米アポロ17号が最後
▼有人宇宙飛行、月面着陸と、人類初は名言を残してきた。61年前のきょうは糸川博士らが日本初の観測用ロケットを打ち上げた日。民間初の月旅行はどんな名作を生むのか、天空の博士と市井の人の夢も乗せた旅の実現と成功を祈る。
以上記事引用
最近話題になっていた前沢友作社長のことに触れ、日本ロケット開発の父、故糸川英雄博士のことが書かれている。
その中で、
「60代でバレエを始め」
とあったので、
「え?、本人が」
と、文章に突っかかり、どういうことなのか調べてみた。
すると、本当にその写真を掲載したブログに行き当たった。
以下引用の一部です。
糸川英夫さんは、
ロケットの父と呼ばれる一方多彩な趣味を持ち、、
宇宙工学の世界から退いたあと、
貝谷八百子さんの元で、62歳からバレエを始めました。
糸川博士に関しては、「はやぶさ」が探索した小惑星に「イトカワ」と名つけられたことで記憶に新しい。
2012年が博士の生誕100年だったそうです。
私事ですが、私も大人になってそれも子供が独立してからのバレエに挑戦しました。
「やりたいことをやろう!」
という気持ちに素直になって行動に移すには勇気がいるものです。
それでも、女性が多い中に飛び込むのはもっと勇気がいることだと思います。
それを、糸川博士が、62歳からというと、1974年から始められたという計算になる。
博士は、その後いつまで続けられたのだろう。
バレエと結びつく考え方があってそれを実現されたことがここから解るかも知れないので記します。
生誕1912年7月20日
死没1999年2月12日(86歳没)
以下、博士の残された言葉。
「目標に向かって、一段ずつ階段を上っていく上で、いちばん肝心なことは、必ず、最初の一段を上るということである。そしてまた次に一段上るということである。」
「「自分にできること」よりも、「世の中が求めていること」に挑戦しつづけたほうが、人生も楽しい」