それって当たり前?

日々感じたことを徒然に。

乱反射

話題になっていた?ドラマ「乱反射」を観ることができた。

「できた」というのは、観る予定がなかったのに、観れたということ。

 

予定のものは録画必須の生活なので、そこに入っていなかったのだ。

また、同時間は既に他の録画が始まっていた。

でも、気になったのでそのまま就寝時間までは観た。

見始めたら、これは結末を知らないでいてはいけないと、就寝以後の部分を録画して寝た。

 

調べてみると話題作であったが紆余曲折があっての公開だったのだと知る。

 

その中でもう一つ、話題というのが石井裕也監督と女優の相良樹さんができ婚のきっかけとなった映画だそうだ。

 

ドラマを観ていて、「その女優さん」が誰だっけと気になって、映像の最後のクレジットロールをユックリと確かめて相良樹の名前から調べて、

「そうだった、見たことあると思ったら、”とと姉ちゃん”の妹役だった~」

とすっきりしたのです。

それは私の舞台裏として置いておいて・・・。

 

最後もすっきりとしない結末でした。

 

このドラマ、ずっとすっきりとしない感でいっぱいだったけれど、普通の生活ってこんなことの連続じゃないかって思う。

 

一人、一人は「人を殺す」位のことではない、ちょっとしたルール違反しただけって思ってやっていることってあるかもしれない。

でも、その連鎖の結末が事故に繋がって、誰かを殺すことになる、なんては思わない。

市役所の街路管理責任者に話を聞きに行くシーン。

(今や、仕事の殆どを経費節約と本職員削減のために外注している行政って、多分こんな仕事の仕方かもって思ってしまうのは間違いでしょうか)

 

ドラマの中で、主演の妻夫木聡は新聞記者だ。

一つ一つの関連性を調べて行けば、事故の原因も、責任も明らかになっていく法廷劇になるのかと、期待していた。

 

けれど、普通の雑誌記者はそこまでは無理なんだってことだった。

本当に、子供を失ったことが悔しく、悲しかったら、現実でも、何年でもかかって裁判をした父親も記憶にある。

 

でも、そういうのは稀な稀有な事なのかもしれない。

こうして、

夫「調べるのは自分には無理だった。任せろ、って言ったのに」

妻「(子供を育てたのは)いい思い出だったよ。これからも傍にいて」

が精いっぱいが、”見せるドラマ”ではない、原作の小説としては現実的なんだろう。

 

最後のシーンの子供を失った二人でさえ、小さなルール違反を犯しているが、それだってこの場だけのものって

思っているからだろう。

これの方が現実的なのかもしれない。残念だけど。

 

人は、そこに「言い訳」をして、楽な方に行ってしまいがち。

自分の中に、それはないだろうか、と自問自答して、完璧有りませんと答えられるだろうか。

 

落ちている「ゴミを跨ぐ」のと近いものがある。

そこは、毎日自分の目の前に振られたことは自分の役目と、引き受けるようにしている(つもりです)が。

 

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https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12136-091014/