それって当たり前?

日々感じたことを徒然に。

「食事会」の変化。

今日は定期的に開いている「食事会」だ。
もう、10年以上続いている。

 

当初は男性も二人参加していて、そのうちに一人が事情があって定期的には来れなくなった。
女性も4人、時々不定期に都合が付いたと参加したりする人が一人で4~5人いた。

 

そのうち、女性の一人が5年程前に、新しい公的な仕事を頼まれたということで参加できなくなった。
彼女の場合、理由は他にあったと思うが、それは私の胸のうちにだけ秘めてある。

 

では、その後、食事会とは別に付き合える、と思うのですが、一旦疎遠になると、こちらから連絡する気も起きなくなって、年賀状の交換くらいになってくる。

 

彼女の場合、会話の内容が興味持てなくなったのだろうと思う。
知的な会話が好みだったので、井戸端会議的な世間話や、家庭内の出来事ではつまらなかったのだと思う。


私とは「読書会」したいといって、よく情報交換したけれど、キリスト教信者である彼女は、そういうキリスト教的情報をよくもたらしてくれて、私も、同じくキリスト教信者の曽野綾子さんの著書をよく読んでいたので、共鳴できるところもあったので、楽しい時間を共有できた。

そんな彼女なので、女性特有の井戸端会議だけでは意味なかったのかもしれない。

 

でも、世間て、何かだけということでは成り立たないのだから、いろんな人がいるのだから、いろんな考え方がある時間と、楽しんだらいいと思って、私は参加している。

 

そして最近では男性一人、女性3人での食事会になっていた。

ところが、この数か月の内に、男性の方が「おかしい、おかしい」とご自分の体調のことを気にしていた結果、心臓の手術に至って、中々参加できなくなってしまっている。


高齢化ということもあるが、次の予定を奥様にお知らせすると、
「声を掛けて下さるだけでも、本当に嬉しいです」
と仰ってくださる。

2か月程前の食事会の後、彼のご自宅にお邪魔させて頂き、お元気に回復されている様子に安心し、奥様も歓迎して下さり、5人と飼い犬ちゃんと楽しい時間を過ごしたのですが、段々、出掛ける機会が減っているようで、残念なのです。

 

10年以上の歳月はいろんな変化をもたらすけれど、こういった人生の先輩にあたる友人や親の姿は、私達が行く姿なんだと、教えてもらうことが多い。
だから、大事に思う人達なのです。