もふもふモフモフ#8-2 「介助犬シンシア」
「介助犬シンシア物語」です。
1994年シンシアは兵庫県神戸市の木村さんの家にやってきた。
木村さんは、交通事故の後遺症で身体が不自由なのです。
とても好奇心旺盛で、やんちゃ坊主だったので八王子の犬の訓練施設に預けた。
そこで、本来のやんちゃ気質が介助犬として開花したのだそう。
訓練を終了したシンシアとはどこに行くにも一緒で、パーキングのチケットを取ったり、エレベーターのボタンも押すことができる。
そんなシンシアを木村さんは同士のようだと言う。
番組を拝見していて、シンシアとの出会いも素晴らしいけれど、木村さんの行動力にも感服しました。
こうして車の運転してるのは木村さん本人だということは、外出のための、特別仕様車を作って、外出の範囲を広げる、しかも、人に頼らない方法で、ということが窺える。
ご本人が道を切り開いてこられたのがわかります。
そうしてどこにも出掛けて行ったけれど、盲導犬と違って「同伴拒否」されて、
シンシアが入れない場所があった。
木村さんは、介助犬も盲導犬と同様に、障害者と同伴することが必要であることを
認めてもらえるように、全国300か所以上に講演に出掛けた。
そして、初めて国会にも足を運んだのが1999年のことだった。
それから4年後シンシアは12歳で亡くなった。
そして、今シンシアは介助犬の礎となった功績を称えられて、神戸市の一角に銅像となって、行き交う人々を見守っている。
木村さんは、シンシアの能力を引き出し、社会に自分の役割をしっかりと果たした方だと思います。
シンシアがヤンチャもそうだろうが、相手になって遊んであげる人間がいなければ、犬は遊びの中から学ぶこともない。
犬にとって、「遊び」は何よりものご馳走に等しいのです。
麻薬探査犬のご褒美も「タオル遊び」でした。
木村さんもご自分が障害を負われたのに、ベッドの上でも遊びの一つとして着替えのお手伝いをさせていました。
木村さんのポジティブな生き方とシンシアの能力がお互いを「同士」として、新しい社会を切り開いたのだと思います。
ありがとう、シンシアそして木村さん、奥様、そして支えて下さった皆様。
私達は、盲導犬、介助犬、そして救助犬、探査犬、警察犬など、人の役に立ってくれている犬達に対して、正確な知識を持ってきちんと対応することが何より求められると思います。