それって当たり前?

日々感じたことを徒然に。

今の所は、去年よりも涼しい夏。

昨年の広島の豪雨被害の記録では2018/07/08だった。

その時のブログです。

https://ameblo.jp/kickbell/entry-12389353787.html

 

そして、毎日暑いと、早朝4時起きをしてペットの散歩をしていた時期のブログです。

2018/07/12。

https://ameblo.jp/kickbell/entry-12390028111.html

 

ということが昨年の夏の様子だったということです。

 

今夏、あまり早く起きなくても、暑さに追い立てられてということがなく、6時半ころからの

猫との散歩でも間に合っているので、去年の様子を振り返ってみたのです。

 

まだ梅雨明けしていないので、真夏に突入という感覚はないのですが、それにしても、

昨年の今頃は、とに角涼しい内の作業を心掛けていたので、毎日が暑かったという印象なのです。

 

今年は今の所、涼しいなあという気温で本当に助かっているのですが、それはそれで

やはり日照不足という問題が出てきました。

 

稲作や、野菜の生育不足です。

こういうことは時差を伴って、もう暫くすると、家庭の食卓事情にド~ンと影響を及ぼす

事になるのでしょう。

 

あれもこれもバランスよく、都合よくはいかないのが世の常ではあるだろうけど、気象が原因

で経済活動に影響を受けることは、農家さんなどは本当にしんどい事なんだろうと想像します。

 

消費者側の私などは、

「ああ、今年は涼しくて過ごしやすいわ~。」

なんて言ってられるけれど、生産者さんや、観光業者さんなどは、いつもの夏と違えば、

それなりに打撃を受けるのでしょうから難しい事態ですよね。

 

 

梅雨明けも、7月下旬だと聞いています。

暑い夏が嬉しいのか、涼しい夏で有難いのか、微妙な感覚の今年7月です。

 

豪雨だけは今年も九州地方で被害が出てしまいました。

 

 

スニーカーを買ったら・・・。

下駄箱を整理。

 

靴を一足増やすことにするならば一足は処分しなければならない、と思っている。

 

今のスニーカーは履きやすくて気に入っているが、裏返して靴底を見てみると減っている部分がある。

気に入った物ばかり履くからだ。

 

それにしても、ゆっくりと洗ってやりたい。

汚れがうっすらと気になるのだ。

 

ということで、探していた。

 

スポーツ用品のコーナーをウロウロしていたら、その日”割引Day”だということで、

「よし、どれかを選ぼう!」

と言う気になった。

 

まあまあ気に入った、靴とお値段に魅せられて一足買った。

 

帰宅して、夕飯の後、箱に入った靴の収納が気になった。

「今すぐに、この靴の場所を空けよう!」

と、下駄箱の中の箱の中身の点検を始めた。

 

廃棄できるのはどれ?という点検だ。

箱の手前側に一応、中身の表示として

「名前、靴の種類、色」

などを書いてあるが、開けてみると、保存が必要?と思うような靴ばかり。

それと、和服用の草履だとか、下駄だとか(これ、殆ど使わないだろうと思うが)、子供用の下駄だとか(これも、既に思い出として保存?に近い)なのでまとめられるものはまとめて、上の上の出し入れに踏み台がいるような場所に、収めることにした。

 

こうして再点検してみると、結構自分の靴が多い。

(夫と息子たちごめんなさい。ちょっと申し訳ない気分)

上段の部分は箱に収めてあるもの、下段の取り出し易い場所は普段使うもので箱には入っていない。

見易い。

 

結局、廃棄した物は、既に独立して家に居ないのに、場所を取っていた息子のスニーカーと運動靴。

普段履いてない靴って全体が堅くなっていて生気がない。

それに、必要なら持って行くかしてるでしょう。

そうでないということは不要だという結論。

 

しかし、夫に要、不要を確かめると、

「廃棄することはない、そのまま取っておいたら?」

と言う。

「そうして不要なのに、場所を取ることの方が勿体ない」

と、私。

 

夏用、冬用の客用スリッパの収納をスッキリとしたかったのもあって、独立した彼等の使用しない靴は廃棄となった。

 

こういう下駄箱一か所の断捨離でさえ、意識の無い、整理などしたことのない夫は、何でも捨てたがらない。

保存の場所など、スペースなど考えない。

 

見回してみると、夫の”捨てたくない病”のものが詰まって既に10年の余経っている物置がある。

物置はあってもいい。

 

ただ、そのスペースはできれば余裕を持たせて本当に普段必要なもの、バケツや箒などを入れておくような場所にして欲しいのだ。

使わないのに捨てたくないだけで場所を取るのはもう、うんざりなのだ。

 

話は逸れたが、一足洗って収納できる場所ができて、パアっとお天気が晴れたら、子供の上靴を洗った時のように一足洗って、適度に履く頻度を交互にしながら、スニーカー生活しようと思っている。

 

ちょっとすっきりしました!

 

ウォークインクローゼット風の靴収納が理想ですが、スペースがあれば、ですね。

 

写真引用。

 

 

 

だぶって掛けていた保険。

火災保険と地震保険だ。

 

火災保険と地震保険は損害保険会社の5年一括払いの保険に入っていた。

平成26年から5年間保障をつけていて、今年の7月3日が更新日となっていた。

 

最近災害が多いのでこれらの保険は高くなってきている傾向にあるらしい。

 

それで、事務的に更新しないで、内容をよく確かめてみようと思った。

自動車の任意保険でお世話になっている保険代理店に内容を相談することにした。

結婚以来先代からお世話になっている代理店だ。

 

結果は更新用に提示された内容と殆ど変わらない。

保険料を下げる理由は免責額を付けるか付けないかだけのことだ。

 

免責無しにして保険料は上がったが5年間=60か月で考えれば月々の出費はそんなに大差ない。

 

と、いうことで家の保険は一段落と認識していたところ、他保険にダブって掛けていたことが

発覚した。

 

 

一体我が家は誰にどんな時のために、いくらの保険を掛けていて、その保証はどうなのか、

と一切合切一覧表にしてみた。

それがどの口座から引き落とされるのかも同時に添付してみた。

 

契約して引き落とされ始めると安心してしまい、金額の内容など記憶から飛んでいってしまう。

 

そうして発見したのが、火災・地震保険のダブりだった。

 

こういった保険は何件か入っていても、一件の保証しか支払われない。

県民共済保険だった。

 

生命・医療の保険と合計して払っていたので、その中に火災・地震が含まれていることは

忘れていたとしか言えないのだろう。

 

本当に自分に腹が立った。

月々2,268円、一年にして27,216円。

 

この5年間支払っていたとすれば136,080円。

民共済や県民共済系の保険は、加入者の年齢がある年齢に達すると今までの保証を

維持するためには保険料が2倍になる。

その時点で、どちらか一件の意識がなくて加入したのだろうか?

 

ああ、内容を合計しての支払いには落とし穴がある。

いや、相手がしたことではない、自分が曖昧だったか、何かスケベ根性があったのかも

しれない。

生命・医療保険などと違い、何社と契約しても1社からしか出ないということを認識していなかったか。

 

保険は長くても一年毎に見直す位がいいのかもしれない。

更新の時点で「お知らせ」が、取り敢えずやって来るのだから。

 

時間を見て、成るべく早く、クリアーに「保険一覧表」を完成させます。

というショックな、お馬鹿な顛末でした。

 

 

草刈正雄さん。

NHKの朝ドラ「なつぞら」の草刈正雄さんの演じる”じいちゃん”の言葉は深い。

 

 

2019/07/08(月)の台詞。

(内容は長いので割愛します。)

主人公のなつ(広瀬すず)と兄の咲太郎が、東京へ帰るシーンで、じいちゃん役の草刈正雄さんが短い言葉で、

咲太郎に声をかける。
 
「咲太郎、今までよくやった。よく頑張って生きてきたな。」
咲太郎、ぐっとうつむく。
「ありがとう」
でも、
「はい」
でもなく、声にならないという表情。
 
人生の苦楽を知り尽くした男の先輩であるじいちゃんに突然、まだ若い男である咲太郎が
「よく頑張って、”生きてきた”」
と言われたらどうだろう?
 
今までの事、ぜ~~んぶ認めて貰えた、という大賛辞になりますよね。
戦争で両親を亡くして、子供たちだけで頑張った、生き延びた兄、妹二人。
 
どのようにするのが最善の方法だったかなんて誰にも分らないが、そこに居るという今を大先輩の”男”に認められたら、突然泣きたくなるだろう。
(男はみんな唇を噛みしめて、必死で頑張っているのだろうから。多分。)
 
不意打ちをくらった”喜び”だろう。
岡田将生の演技もよかったが、こういう場面がこのドラマの中によくあるのだ。
 
何気ないけど、相手が子供でも、思春期の少女でも、成人した大人でも、それぞれに
掛ける柴田泰樹(草刈正雄)という男の言葉に惹きつけられるのだ。
 
朝のたった15分間のドラマなのに、時々うるっとなってしまう。
 
多分、どの言葉も、自分の辛さや寂しさを自分の中に押し込んで、相手に対して
「お前はそのままでいいんだ。」
と大きな懐で、優しい目で包んでくれるからだろう。
 
不安や寂しさや迷いを持つ若い人は、その言葉に大きな安心と自信を持つ。
子供だからとか、女だからとか、若造だからとかの差別がなく、開拓者として生きてきたその魂から出る言葉を掛けてくれる。
 
草刈正雄さんの声と目が真っすぐに語り掛ける。
とてもいい歳の取り方をされたなと思うのです。
 
一瞬だけど、そんな台詞に出会えるので楽しみしている「なつぞら」なんです。
 
 
 

掃除機と湿気。

まだまだ梅雨は続きそうですね。

梅雨明けは7月の下旬ということを気象予報士さんが言ってました。

 

私は、湿度がすごく気になります。

肌で感じると、すぐに湿度計で確かめます。

「わっ、72%か、どうりで汗が噴き出すわけだ~!」

なんて大袈裟に言えば一喜一憂してしまう程です。

 

その湿度が何%であろうと、気温が何度であろうと、毎日の家事は欠かさずする。

一日のリセットの時間なので、昨日のまま過ごすのは気分が落ち着かない。

 

家事にも、お掃除派とお料理派があるそうですが、私は先ずお掃除です。

友人達の意見を訊くと、各家庭それぞれで、掃除は毎日はしない人あり、雨の日は部屋を開け放てないので

埃が気になってしない、という人ありで様々だ。

 

ましてその家族は主婦の流儀にお任せで、あまりに気になるとご主人自ら掃除機をかけるなんて家庭もある。

 

私は、どうしても昨日の埃が気になるし、猫もいるということで毎日欠かさない。

 

だから、この時期感じることがある。

 

湿度と掃除機の動きに関して、はっきりと感じるのだ。

 

他愛もないことだけれど、フローリングの床に掃除機をかけると、重い。

乾燥した日は掃除機は軽やかに動かせる。

しかし、湿度が高いと床に掃除機の吸い込み口の跡が付く位軌道が解るくらいの時がある。

 

それでも、掃除機は掛ける。

ジトジトと気分がさっぱりしないからこそ、するべきことはしてさっぱりとする。

 

動き回って汗をかいて、家事全般が終わったところでシャワーを浴びる。

ジトジトが一掃されて心身がリフレッシュする。

 

いろんな動き、各部屋などの掃除はまとめてやってしまい、大きな動きは終了し、シャワーを浴びたら

あとは座ってでもできることをまとめてする。

 

自分の汗かきという体質を考慮して、なんとか梅雨時、暑い夏を乘り切るしかない。

 

できれば、・・・、避暑地にでも避難して涼しい夏なんてのを味わいたいものですが・・・。

 

 

 

夜はベランダで寝るのだ。

我が家の猫。

 

冬の間は私のお布団に入ってくるのに、最近はせいせいとベランダに出てデッキチェア一の上で寝ているようだ。
(椅子は布製で、いつもタオルを敷いてある。その場所は簾が掛かっていて内側は落ち着くようだ。)
 
だいたい私が寝る準備をしていると、感づいてベッドの端に乗って、待っていたり、PCの椅子を占拠してのびのびと寝ている。
多分私が寝がえりを打ったりすると、猫にとっては落ち着かないのだろう、私の近くにいればいいようだ。
それがPCの椅子なのだろう。
 
でも、朝になって猫の居所を見ても部屋の中にはいない。
「ん?外?」
と、ベランダを覗いてみる。
 
アンモナイトのように丸くなって寝ている。
丸くなるって、寒いの?と思うが、この季節、外気が心地よいのだろう。
 
 
私は一年を通して一緒にベッドで寝たいと思うのだが、その辺が猫のツンデレという習性なのだろう。
猫を撫でて寝るということの喜びは飼った者にしか分からないと思うのだ。
傍に来て、撫でてもらっている時の猫の喉を鳴らす「ゴロゴロ」という音を聴いていると、
「ああ、安心しているんだろうな~。」
と、こちらの方が嬉しくなる。
 
でも、外気が心地よくなると、もうそんなことも放り出して、
「ここが心地いいんだもん。」
と、離れていってしまう。
 
ちょっと寂しい。
けど、いいんだ。
猫ファーストが猫の幸せなんだから。
 
 
 

俯瞰、いろいろ。

七夕祭りですね。

何か願い事短冊に書きましたでしょうか?

 

また懐かしいブログが表示されていた。

あなたが去年書いた記事ですと。

中島みゆきさんの俯瞰力」

https://ameblo.jp/kickbell/entry-12388438364.html

 

そう言えば、あの記事からもう一年経ったのかと驚く。

今読み返しても、そのまんま今でも、その感覚は変わらない。

 

それで、俯瞰図とか鳥瞰図って、歴史の授業なんかでみたことあるので再度探ってみた。

 

https://eigobu.jp/magazine/fukan

「俯瞰」の意味と使い方!「鳥瞰」との違い

 

いろいろあったが、もし、このことでまたその画像を見れるとしたらこれを観たいと思ったものを

残したい、と歌川広重の作品を挙げてみました。

 

歌川広重

東海道五十三次の画像」

https://kotobank.jp/word/%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E9%81%93%E4%BA%94%E5%8D%81%E4%B8%89%E6%AC%A1-103193

 

俯瞰の技法で絵を描いていると、物の見方、考え方も所謂「俯瞰的」になるのでしょうか?

社会の見方や人間関係も、ちょっと離れてこんな方法がいいのかもしれないですね。